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2020年1月24日5 分

【解説】不登校への対応

最終更新: 2020年6月5日


 

我が子が不登校になると、とっても不安ですよね。

時には極端なことを考えてしまい思い詰めてしまうこともあるかも知れません。

感情的になって我が子にぶつけてしまう時もあったかも知れません。

それでも、こうしてこの記事を読んでいるのですから、迷いと不安の中、何かしらのヒントを求めてこられたのだと思います。あなたのお役に立てれば幸いです。


 

いじめや非行、学業不振などおおよその理由がわかるタイプではなく、先生と話し合っても理由が見えてこないタイプの不登校は、見通しのたたない分、不安が大きくなりやすくも、辛いですよね。

このまま引きこもりになってしまったらどうしよう。

いつか事件を起こすのではないだろうか。

我が子を疑うようなことはしたくないものの、そういった不安や焦りは、時に突然心の中に湧き上がってきますよね。それはいたって当然のことです。

それが親心なのですから。

しかし、その気持ちに突き動かされてしまわないようにも気をつけなければなりません。

親が感じている不安は当然、本人奥の方で感じています。親がてきることのひとつとして、想いを抱えておくことが長期的に見て良いように思います。

ただその心労は計り知れません。どうか当事者様、親様、支援者様、ご自愛くださいませ。

さて、さっそく本題に入らせていただきます。色々なところで、カウンセリングマインドや受容・共感と言われるようになってきましたね。

実際にそれってどういう関わりなのかを、私なりにまとめたのがこの記事になります。どうぞお付き合い下さい。

〇受容について

受容されることで不登校が解決するわけではないのですが、否認している状態からは少し進めるかもしれません。

問題が大きすぎて向き合うのが怖くて、問題ないように振る舞うのが否認している状態です。

その状態から少し進み出すには、「周りがどうであろうと、私たちが立っている場所はここで、それはそれでいいのだと。ここから歩き出せば良いのだと」思える必要があります。

ですが、子ども一人で思い至るには、少々難しいように思います。

また、思えたとしてもその正反対の気持ちも当然ながらあるわけで、心の成長途中な子どもなら、なおさら、相反する気持ちを一人では抱えきれません。

はじめは誰かに抱えてもらう必要があります。

そのための【受容】になるかと思います(それだけでいいわけではないですが)。


 
不登校対応で言われる【受容】と【共感】について、簡単にお話ししたいと思います。


 
【受容】とは、読んで字のごとく受け容れることです。受け容れられる体験を通して自己の内面と出会うことができるようになっていきます。

不登校でありながらその現実を受け容れられないという状態から、受け容れられるようになります。

【受容】を分かりやすく言いますと、[善悪の判断をつけない][批判しない][けなさない]と何も言わず、ただただ聴くことに徹した状態のことを受容的態度と呼びます。やってみると分かりますがけっこう難しいですので、心掛けるようにするくらいで良いと思います。


 

自分の心に出会い、そんな自分とどうやって生きていくのがいいのか、そんなことが考えられるようになるといいですね。

自分の心を否定しているうちは、厳しく律しても、気力が尽き、たちまち燃え尽きてしまうでしょうから


 

誰かが、心を受け容れることを、示してあげる必要があります。そうすることで、安心して自分の心と向き合える準備が整うのでしょう。

不登校になると、(人生の)進路についての悩みが前倒しになってやってきます。教育は受けた方が良いのですが、別に学校でなくても良いですし、5教科じゃなくたって良いかもしれません。

しかし、大きな流れである主流(多数派)から離れた生き方をするのか、頑張って戻るのか、考える必要がでてきます。

きっと何かが合わず前に進めなくなったのでしょうから、合わなかった何かは今は置いておくにしても、前をどこにするのか模索する時期とも言えるかも知れません。

もし子どもから行きたい方向が出てきたのなら、可能な限り検討してみて下さい。頭ごなしに否定せず、どんな困難やリスクがあるかを一緒に調べて見て下さい。誠実に一緒に考えてあげて下さい。
 

 
[不登校初期]
 
主流から外れてしまったことの衝撃が大きすぎて、否認や逃避が強く働きます。心を閉ざした状態になることが多いように思います。子どもの心が全くわからなくなり、ご家族も焦りや不安が大きくなる時期です。

逃避先のものを取り上げたりしてしまい、衝突が絶えないかもしれません。上手くいかない不全感を、過去の親の失態を持ち出してぶつけてくることもあるかも知れません。どーんと構えて受け容れてあげましょう。

親としては、自身の育て方が間違っていたのかと、自責に近い自問自答をしてしまいやすいですが、それは“子ども自身が、上手くいってない自分を受け止められず、大きな存在のもののせいにして急場(きゅうば)をしのいでいる”に過ぎません。

大人でも抱えきれない悲劇や不幸を大きな存在のせいにして(運命や神様など)、現実の重圧を薄めることは往々にしてありますよね。

子どももそうせざる終えないくらいに辛いのだと理解してあげて下さい。

完璧な親はいないし、過去に不適切な返事をしてしまってり、対応したりしたかも知れませんが、だからといって子育てに間違いはないのです。

いつだってあなたは、必死に、子どものために、家族のために、生活のために、日々を過ごし来たでしょうから。

改善した方が良さそうなところは、少しずつ変えていけばいいのですよ。

子育ては競争でもなく、テストでもなく、人としての営みなのです。お互いに関係し合いながら、ゆっくりと進んでいくイメージがぴったりかと思います。

関わり反応を見て、調整して、また関わる。

そうしてるうちに、次第に心が寄り添いはじめるのです。

うまくいかなくなった時に、誰かがそばで支えてくれる体験は、いずれ素敵な絆にかわります。

私か思うに、人と人の絆は、お金や社会的成功と同じくらいかそれ以上に、人生においてかけがえのないものなのではないでしょうか。
 

 
下の記事では、一般的なことから踏み込んだ対応まで書きました。何かの参考になれば幸いです。

[不登校になったら読むノート]

不登校はスライム退治?!
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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