今回は、知識的な学術的な意味は脇に置いておいて、私の主観で積み重ねてきたカウンセリングへの経験知
を言葉にしてみたいと思います。曖昧で抽象的になりそうなので苦手な人はご注意を。
誰かに自分の話しを打ち明けられたなら、それは“しなやかさ”を伴った強さへと繋がっていくのだろうと思う。弱い心なんてないと思う。どんな人も懸命に働かせているし、心の膨大なエネルギーを感じた時には、とても“弱い”なんて形容詞は合わない気がする。どんな人の心にも膨大なエネルギーがあって。弱い心なんてひとつもないと思う。
例えば、些細な事で落ち込む人のことを“心が弱い”と言う人がいるかもしれませんが、心が弱いのではなくて“心の感受性”が人よりも繊細で、“感じ取った事”を真っ直ぐに吟味できる人なのかもしれません。
たった一度の失敗で、立ち直れなくなった人のことを“心が弱い”と言う人がいるかもしれません。もしかすると、うまくいくと信じる気持ちがとても強すぎたのかもしれません、そう失敗したときのことなど考えないくらい。私には“心は硬すぎ
た”ように映ります。なぜだが硬さには脆さがついてくるのです。
決めたことを出来ずに楽な方へ流れてしまうと“心が弱い”と言われるかもしれません。そう言ってくる人はきっと、意思を継続させずに変えてしまったこ
とを指摘したいのだと思います。どちらかと言うと、チェンジオブペースが好きな心なのです。決めたことを”やめる”と決めるのも“意志”ですから。
色々な心の個性がある中で、しなやかさがあると、少々のストレスともうまく付き合えるようになるようです。そして“しなやかさ”は、人によっては、センサーの感度を下げたり、あそび心をもっていろんな未来を想像したり、やり遂げる自分を信じてみたり、いろいろ試したりしているうちに、選択肢が増えていくことなのかなと思います。いつも同じ方法でしか、ストレスと戦えないというのは、硬さであり脆さなのだろうと思います。
“あるがままの心”と“こうありたい心”との混ざり合いがちょうど良い範疇からはみ出ては戻して、はみ出ては戻して、みたいな心の作業を積み重ねていくうちに、ちょうど良い範疇に収まってくるんじゃないかなと、ぼんやり思う今日この頃です。
私なんかの道半ばの人間が、心を語ることなんて、なんて偉そうなんだろうと思いながらも、miyaはどういう感じの人で、どんなことを想いながらカウンセリングに臨んでいるのだろう、というところが垣間見てもらえたらいいかなと思って書かせていただきました。
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